なんでこんな思いまでしてやらなくてはいけないのだろう。
自分は損をしてばっかりだ。
仕える生き方をしていると、そう感じるときがあります。
確かに、サーバントの生き方は、決して自分だけが得をして、ひとり勝ちするものではありません。
では、サーバントはどのようにこのことを考えるのでしょうか。
ぶれない軸とバカ力
サーバントにとって、与えることが生きることの軸になっています。しかも、その信念が与えることの原動力にもなっています。
いつも変わらない指針
自分のためより人のため、受けることより与えることを優先すると考えれば、心の思いにも、行動にも、ぶれることのない軸が生まれます。
ちょうど方位磁石のようなものです。
どのような状況下でも、指し示す方向はぶれることがありません。たとえ大きく道を外れたとしても、そこから目指す方向を教えてくれます。疲れ切って座り込んでしまっても、再び立ち上がるときには進むべき方向を知ることができます。
基本的な考え方に基づいて、進むべき道や取るべき行動が見えてきます。
湧いてくる力
また、受けるよりも与えることを優先すると心に決めることによって、より大きな力で取り組むことができます。自分の思いをそのことに集中させることができるからです。
ちょうど川の流れに逆らう舟のようなものです。
舟は上流から下流に向けて、流れに乗って下るのが自然です。下流から上流に向かうことは、自然には起こりません。流れに逆らって必死に舟をこぐことで、はじめて舟は川を上ることができます。
流されてはいけない、絶対に上るのだ、と切羽つまって覚悟を決めるならば、火事場のクソ力が湧いてきます。
同じように、与える覚悟を決めて信念を貫こうとするならば、自分でも驚くような取り組みの力が生まれてきます。
どうして与えるほうが幸せなのか
では、このような信念はどこから生まれてくるのでしょうか。それは、与えることによって得られる大きなものがある、と知っているからです。
常識的な損得勘定
一般的な価値観は、与えるより受けるほうが幸いだと考えます。
受けるならば、自分の持ち物や財産が増え、失うことはありません。
与えるならば、人のために差し出すのですから、自分のものは少なくなります。
受けるなら増える、与えるなら減る。それなら与えるより受けるほうがいいのは当然のことです。
与えることの喜び
しかし、サーバントは与えることに新たな意味、大きな喜びを見出します。
受けるより与えるほうが幸いだと考えます。
仕方なく与えるのではありません。喜んで与えます。
奪われるという受身形ではありません。差し出すという能動形です。
与えることをあえて選ぶ、ということです。
条件もつけません。この基準を満たせばとか、相手がこうならとか、そういう条件を求めません。
必要があるならば、出し惜しみをせずに与えます。
見返りも求めません。与える代わりにこうしてほしい、という取引のような要求をしません。
自分ではなく、相手の必要が満たされることに関心があるからです。
与えることによって得られるもの
このような与え方が可能になるのは、自分のものが減ったとしても、それ以上に得るものがあることを知っているからです。
与えることによって、まず相手との関係が深められます。もはや、ただの関係者や知人ではありません。喜びも悲しみもともにする、寄り添って歩む関係になります。与えることによって得られる親密さです。
また、与えることでしか味わえない喜びがあります。望むものを手に入れた喜びとは一味違います。自分が果たすべき役割をやり遂げたという満足感や達成感です。
与えることによって、協力者たちとの絆も得られます。利害の一致でつながるような関係とは異なります。大きな目的に賛同し、志を同じくする仲間の結びつきです。一致して困難に立ち向かうことによって得られる絆です。
さらに不思議なことに、与えるためのものが与えられる、という経験をすることがあります。自分に必要なものは願っても得られないのに、相手に与えるためのものは思いがけず備えられる、という経験です。
だからこそ、サーバントは、与えることは幸いなことであると本気で信じ、人々に仕え続けることができるのです。
まとめ
サーバントは、損得に関係なく、いつも変わらずに信念を持って与え続けようとします。与えることによって得られる、大きな喜びがあることを知っているからです。
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