人のために、とは思うものの、自分だって…
そう思うのは、とても自然なことです。
他人のためと自分のため、どうやってバランスを取ればいいのでしょうか。
この考え方を理解して、自分なりのバランスを見つけてください。
与え続けるための条件
仕えるとは与えることです。しかし、与えることは容易ではありません。
サーバントが喜んで与え続けるためには、3つの条件を満たすことが必要です。
与えるための条件① 与えるものをもっていること
まず、与えるものを持っていることです。無いものを与えることはできません。
お腹を空かせている人にパンを与えるためには、手元にパンがなくてはなりません。もっと言えば、パンをたくさん持っていることが必要です。
自分の分しかないのに与えれば、自分の分を減らすことになります。一時的には可能ですが、長い目で見ると難しい状況を招きます。与えるためには十分な量を持っていることが必要です。
与えるための条件② 与える気持ちがあること
次に、与える気持ちがあることです。
人は自分の持ち物を自分の所有物だと認識しています。手放すことに抵抗があります。与えようか、どうしようかと葛藤が生じます。
抵抗や葛藤を乗り越えて与えるには、積極的な理由が求められ、動機づけが必要となります。あえて与えることを選ぶ意思が必要です。
与えるための条件③ 与える仕組み
さらに、長く続けるためのしくみが必要になります。
気まぐれで一時的な支援では不十分です。
与える物と心の両方が豊かであり続けるためには、ものを生み出し、無理なく協力関係が広がるしくみが必要です。
不完全なサーバント
そのようなものが求められる一方で、サーバントは自分自身が不完全な存在だと理解しています。
助けを受けながらでしか、人を助けることができない者です。
どうやっても完全に助けること、仕えきることはできません。与え続けるために必要となる3つの条件をすべて自分の力で満たすことは無理です。
サーバントと言っても、自分が貢献できることで、関わり続けているだけなのです。
メサイヤ・コンプレックス
援助者は自分が万能だと思い込みやすく、相手を助けなければいけないと気負いがちです。他人の人生を必要以上に背負い込み、苦悩します。
メサイヤ・コンプレックスといわれるものです。
万人を救う救世主になれれば、誇り高く喜ばしいことです。ただ実際は救世主ではありえません。
すると、不完全な自分を責め、焦燥感に駆り立てられます。
必要以上に自己を正当化したり、承認を求めたりするようになります。
不完全な援助者のまま
サーバントは不完全な援助者です。自分も多くの助けを必要とします。
「助けが必要だ」と表明すれば、弱みを見せることになります。不利なことも出てくるでしょう。
それで良いのです。それを承知の上で、周囲からの助けの必要を認め、信頼して助けを求めます。
与えるためには受けることが必要
サーバントは不十分さを自覚し、与え続けるために必要なものを補充します。
自分がよい状態を保てるように心がけています。
責任を持って自己管理を
自己管理は自分の責任です。
- 気力は維持されているだろうか
- 体力は失われていないだろうか
- 人間関係にゆがみが生じていないだろうか
- スケジュール、体調、精神状態、お金など
管理すべきことは、たくさんあります。
ガソリンのメーターが空に近づけば、急いでガソリンスタンドに立ち寄って給油するように、自分に不足するものがあると気づいたら、すみやかに補って充たすことが必要です。
不完全ではありながらも、それなりに最善の状態で関わることができるように、サーバント自身が整えられる必要があるのです。
不完全さを補う助け
与えるものを十分に持っていないときには、他の人の協力を求めて、与えるものを用意する必要があります。
与え続ける気持ちが薄れるときには、励まし合う仲間、志を同じくする人と歩みをともにすると良いでしょう。
持続可能なしくみが不完全であるならば、経験者や知恵ある人たちの助けを借りて整えることになります。
与えるために喜んで受ける
強がらず、素直に助けを求めることは、サーバントにとって最も大切なことのひとつです。
そもそも、人はひとりで生きる存在ではありません。
神がそれぞれのためによいものを与え、人はお互いにそれを用いて助け合う関係の中に生きています。
与えるために喜んで受けることが、すべての出発点です。
まとめ
仕えることは与えることであり、何の用意もなしにできることではありません。サーバントは、自分自身が助けの必要な存在であることを理解しながら、十分な助けを受けながら、人に与え、助けます。
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