自分の使命がわかるようになりたいですか?

それなりに生きているけれど、人生には何かもっと大切なことがあるのではないか…

そんな思いを抱いている人に共通するのは、自分の使命がわからない、という課題です。この記事では、自分の使命がわかるために、考え方を整理し、使命を見つけるヒントを紹介します。

記事の最後には、使命を明確にしたミッションステートメントのサンプル集の案内があります。活用してください。

使命とは自分に与えられたものを用いて、誰かの助けになることを志すことです。自分の使命がわかるためには、誰の何の課題をどう解決するのか、明確にすることが必要です。

人間は自分の使命をわかりたい生き物

不思議なものです。人はそれぞれ、何かしらの目的をもって毎日を生きています。それなのに、「何かもっと大きな人生の目的があるはずだ、それはなんだろうか?」と問い続けています。そうして人類は、宗教心を深め、哲学を探求してきました。

この記事を読んでいるあなたも、なんとなく毎日の生活が不十分に感じているのではありませんか?もっと意欲的に取り組みたい、一生懸命になれることを見つけたい、と願っていませんか。自分の使命がわかるようになったら、もっと違う生き方が実現するのではないか、と期待をしているでしょう。

私も長い間そうでした。キリスト教の牧師になってからでさえ、そういう状態が続きました。その後、ずいぶん遠回りをして、長い時間をかけて、ようやく自分の使命がわかった、と言えるようになりました。きっかけは、自分の歩みを振り返るワークを、実際にペンを持って、紙に書き出して体験したことでした。

自分の使命がわかるか、わからないか、で大きな違いがあることを実感しています。この記事の最後に、使命を明確にしたミッションステートメントのサンブル集を案内しています。自分の使命とはどんなものか、イメージするのに役立ててください。

自分の使命について5つの誤解

使命という言葉をよく聞きますが、誤解されていることも多いようです。最初に使命についての5つの誤解を紹介します。

誤解1 私には自分の使命など与えられていない

多くの人は、使命をもって生きているのは特別な人たちだけだ、と考えます。特別な能力を与えられ、特別な状況に置かれ、特別に努力をできる、一握りの人たちにだけ使命が与えられていると信じています。自分のような凡人は、普通の生活をするだけで使命などない、と思い込んでしまっています。

使命は、すべての人に与えられています。私たちは、いのちある限り、誰かとの関わりの中に生きています。何かを与えて生きています。量の多い/少ないとか、目立つ/目立たないとか、違いはあるでしょう。でも、何も貢献していない、ということはありません。

この世界は、凡人たちの小さな貢献の積み重ねによって、成り立っています。私にも、あなたにも、小さな貢献をするという使命が与えられています。広く大きな世界の一員として、それを果たすことが求められています。

誤解2 使命とは眼を見張るような特別なもの

使命というと、大きなこと、非日常的なことがイメージされます。例えば、世界の貧困の問題を解決するとか、平和のために立ち上がるとか。自分のしていることは小さなことで、そんな大それた使命ではない、と考えてしまいがちです。

使命は、日常的なこと、ごくありふれたこと、身近な関係の中にもあります。自分がいましている仕事の一場面や、身近な家族、仲間との関係の中で果たされることも多いものです。

特別なことは目立ちます。評価もされやすいものです。でも、それだけで人の歩みは成り立ちません。むしろ、当たり前のように思われている、小さなこと一つ一つについて、使命感をもって取り組んでいる人がいるからこそ、私たちの生活は成り立っています。

誤解3 自分の使命はずっと変わらない

使命は一生涯をかけて果たしていくものであって、ずっと変わらないと考えがちです。それだけ大きなこと、時間のかかることだという理解です。確かに、大きなことに取り組めば、生涯の使命になるでしょう。

しかし、多くの場合、使命は置かれた状況、人間関係等によって変わっていきます。もちろん、月単位で使命が変わるということは、あまりありません。数年単位で変わることは大いにありうるでしょう。使命は、自分自身の内側にあると同時に、置かれている状況や人間関係などによって、その現れ方が変わってきます。

このときの変化は、進化と言ったほうがよいかもしれません。本質的な部分は変わらない場合も多くあります。具体的な行動や、相手が変わっても、その人の本質から出てくるものは大きく変わることはないからです。

誤解4 自分の使命がわかればすべてうまくいく

よく聞かれるのが、「使命さえわかれば、すばらしい人生になるのに…」という声です。使命に励んでいる人が評価されると、うまくいっている部分だけがクローズアップされ、幸せそうに見えてしまうのです。

使命は、人生の成功を約束しません。むしろ、使命に取り組むことは、難題に取り組むことであり、苦労することを意味しています。自分の限界と向き合うことになり、葛藤を重ねることになります。

自分の使命に取り組むことに苦労はつきものです。ただ同じ苦労でも、明確な使命のためであれば、それに取り組み続ける力が湧いてきます。

誤解5 自分の使命がわかるには特別な能力が必要

使命は特別なものであって、自分ではわからない、と考える人たちがいます。人の運命を言い当てたり、過去や未来が見える霊的な能力をもつような人に教えてもらうものだ、と考えているのです。

使命は、自分自身の歩みから理解できるものです。自分のことは自分が一番良く知っています。自分の持ち味、経験してきたこと、心に感じてきたこと、自分の願っていることなどを総合的に振り返ってみることで、使命を確認することが可能です。

確かに、一緒に会話をしながら使命を見つけるサポートをしてくれる人は、大きな助けになります。ライフコーチの私がしていることでもあります。それでも、手助けに過ぎず、自分の使命は結局自分自身で発見していくものです。

自分の使命とは、人生の目的のこと

それでは、自分の使命とはいったいどのようなものなのでしょうか。使命とは、言い換えれば、与えられている人生を何をして、どのように生きるのか、という人生の目的のことです。

大きくわけると以下の3つの要素から成り立ちます。

  1. 自分にユニークに与えられている
  2. 自分に与えられているものを用いる
  3. 誰かの助けになることを志す

自分にユニークに与えられている

使命という言葉は、ラテン語のmitterreという単語から英語のmissionという単語になったものです。もともと、遣わすという意味の言葉になります。特別な用件を果たすべく、使節として遣わされるイメージです。

自分の使命ということを考えてみたときに、天から特別なことのために遣わされている、とイメージすると良いでしょう。「特別な」というのは、特別に大それたという意味ではありません。私だけが果たすことの出来る、という意味での特別さです。

私の使命は私に与えられ、期待されているものです。他の人の使命と比べることには意味がありません。

遣わされた者のすべきことは、用件を済ませ、期待を果たすことです。このことにすべての思いと力、行動を集中させていきます。ですから、自分の使命を生きることこそが、人生の最大の目的であり、生き方の軸になります。

自分に与えられているものを用いる

遣わされていく使節は、用件を果たすために必要なものを予め備えられて送り出されていきます。大切な役割であればあるほど、「やってこい」と裸で送り出されることはありません。十分なものを用意周到に準備され、「これでやってきてくれ」と言われるのです。

自分の使命を果たすために、多くのものを与えられ、備えられています。頭を使い、体を動かし、行動できることはもちろんのこと、それ以外にも多くのことがあります。例えば、時間、教育、人脈、財産、人柄、感情、技術、感覚、健康、関心、努力などなどです。このようなものを資源(リソース)にして、使命への取り組みは続けられていきます。

人によって、何をどのように活用できるかは違っています。他の人と比べて、自分にはこれがない、あれがない、と嘆くのは大きな勘違いです。自分の使命を果たすにあたって、決定的な不足はありません。すでに与えられているもの、これから与えられるものを用いて、使命を果たしていくことになります。

誰かの助けになることを志す

使節が遣わされていくのは、特別な用件があってのことです。現状を打開し、新たな局面を迎えるために、必要なことをしてくるように送り出されます。

あなたが自分の使命を果たすということは、今ある何らかの課題を解決し、よいことのために用いられるということです。もう少し言えば、あなたが使命を果たすことで、誰かのもとに良いものがもたらされ、助けになることを意味しています。

使命を果たすことは自己満足のためではありません。もちろん、使命を果たすことに大きな満足があることは言うまでもないことです。でも、自分の満足のためだけに、使命を果たすのではありません。あなたが自分の使命を果たすことによって、直接、間接を問わず、誰かの何らかの課題を解決し、良いものがもたらされていきます。そのためにこそ、たとえ様々な苦労があっても、精一杯に取り組みます。

自分の使命をわかるべき理由

私たちは、自分の使命を自覚していることが求められます。というのは、意識していないと、様々な雑多なものが使命を果たすためのリソースを食いつぶしていくからです。

時間管理を例にとっても

たとえば時間のことを考えてみましょう。誰にも一日24時間は平等に与えられています。食べる、寝るといった基本的な生活のために、ある程度の時間が使われます。では、残りの時間はどうでしょうか。

SNSやネットドラマなどがあなたの時間を奪おうと誘惑してきます。仕事でもあなたの時間をずる賢く利用しようとする人がいるでしょう。暇そうにしれいれば、家族も容赦なく用事を頼んできます。

意識していない限り、使命に取り組むための十分な時間を確保することは難しくなってしまいます。

使命のために資源を確保する

一番大切なことのために、一番良い資源を十分に確保する、これは成功のための鉄則です。であれば、人生の最大の目的である使命を果たすことについて、最優先して与えられている資源を割り当てることが必要でしょう。これが、人生の成功の鉄則になります。

使命を自覚していないと、その資源を他の物あるいは他の人が巧みに奪っていってしまいます。自分の使命を果たすために生きるのでなければ、誰かの使命のために利用されるだけの人生になってしまいます。悪いことに、自分さえ、大切な資源を他のつまらないことに割り振ることをして、加担してしまいます。

ですから、できれば使命を明文化して、常に読み返して確認出来るようにすると良いでしょう。なんとなくあやふやなイメージで済ませないことが大切です。明確にしても、読み返すこともしないような、絵に描いた餅にしてしまってはいけません。定期的にアップデートしながら、常に意識して自分の歩みの軸にしていきましょう。

自分の使命がわかるための取り組み

では、実際には、どのようにして自分の使命がわかるようになるのでしょうか。そのためには、よく自分自身の歩みを振り返って、これまでの歩みが将来に向かって何を語っているのか、耳を澄ませてよく聞き取る必要があります。

自分で見つけるプロセスに意味がある

具体的なプロセスは、自分の歩みを振り返るような3つの問いかけに対して、自分で答えを出していくことです。誰か、なにか特別な力を持った人が、あなたの使命はこれです、と示してくれるわけではありません。自分で見つけていきます。

サッとやって、パッと結論が出る、というものではありません。もしそうだったとしたら、すでにあなたは自分の使命がわかっていて、ここまで読み進めて来ることもなかったことでしょう。あなたが自分の使命はなんだろうか、と迷っているのは正しいことで、その答えは自分で手を動かし、自分を理解して導き出す以外にありません。

実は、そのようなプロセスにこそ、とても大きな意味があります。一つは、苦労して見つけた使命だからこそ主体的に取り組むことができるようになるからです。また、使命を探る中で自己理解が深まることによって、自分の活かし方を身につけることもできます。

使命を見つけようと取り組むことが、すでに使命を果たす取り組みの貴重な第一歩になっています。

自分の使命がわかるための問いかけ

使命とは、自分にユニークに与えられているものを用いて、誰かの助けになるように取り組んでいくものだ、と説明しました。

では、自分に与えられた使命は、どうやって明確にすればよいのでしょうか。以下の3つの問いかけに答えながら、自分の歩みを深く理解することが大きな助けになります。

  1. あなたは誰と関わるように導かれていますか?
  2. その人が直面している課題は何ですか?
  3. あなたはどのように解決に関わりますか?

一つ一つの問いかけは、とても大きな、深い問いかけです。10秒ずつ考えて、全部で1分もかからずに答えが出るような問いかけではありません。表面的な答えではなく、自分の歩みをよく振り返りながら、答えを見つけていきます。このワークを経験したある人は、「雑巾をギュッと絞るように、自分から答えを絞り出すような感覚でした」と感想を言っていました。

自分の使命を明確にしたミッションステートメント

自分の使命をまとめて、明文化したものが、ミッションステートメントと言われるものです。まとめるのには苦労がありますが、毎日見返して活用するので、それだけの苦労の甲斐があります。

以下の申し込みフォームにメールアドレスを記入して申し込むと、サンプル集が届きます。7人の方々のバラエティに富んだサンプルを揃えました。サンプル集を見ながら、自分なりのまとめ方をイメージしてみると良いでしょう。

 

 

使命とは自分に与えられたものを用いて、誰かの助けになることを志すことです。自分の使命がわかるためには、誰の何の課題をどう解決するのか、明確にすることが必要です。

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